愛書家日誌

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伝説の書店 その1 - 上海の内山書店

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内山書店の始まり

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内山書店は1917年(大正6年)に内山完造によって上海に開かれました。完造の妻、美喜が自宅の玄関先で本を売り始めたのがその始まりです。最初は日本語の聖書などを扱うだけでしたが、商売はうまく行き始め、1924(大正13年)年に近くの空き家を買い取ると文学書や専門書も揃えて本格的に書店業に取り組みます。

内山書店は来客が自由に読みたい本を取って読むことができ、立ち読み歓迎、代金は掛売りでした。ある時払いで必要な本をどんどん注文できるシステムは本好きにはたまらないものでした。店内には談笑するスペースがあり、夫婦からお茶がふるまわれました。自然に本好きが集まり、店は中国、日本の知識人が集まるサロンのようになっていきました。日本からは芥川龍之介、谷崎潤一郎らも訪れています(谷崎は「上海交遊記」の中で内山書店のことを記しています)。顧客に支持される夫婦の篤実な性格と、昭和に入って始まった改造社の円本ブームもあり、店は上海一の書店に成長します。

#円本は改造社の社長山本実彦が「現代日本文学全集」で始めた一冊一円、全巻予約制の全集シリーズで大変なブームになり各社が追随しました。

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#内山書店店内

魯迅と内山完造

広州から上海に逃れて間もない魯迅が1927年に本を買いに立ち寄ったのをきっかけに、魯迅と完造との親しい交流が始まります。魯迅は内山サロンの一員となり足繁く通うようになります。このサロンは「文芸漫談会」と呼ばれ、「万華鏡」という同人誌まで発行しています。しかし、会と言っても会費も規則もなく、本を愛する人が自発的に集まる空気を魯迅は愛しました。魯迅が内山書店で購入した日本語書籍は1000点にも及びます。完造は魯迅に上海を訪れた多くの日本の文化人を紹介しました。金子光晴、岩波茂雄、鈴木大拙、武者小路実篤など枚挙に暇がありません。魯迅はそれらの交流を通して、平和の尊さと両国民の友好を日本人に向けて発したのでした。

二人の交流は書店主と顧客という枠をこえた深い友情にもとづいたものでした。

1930年に魯迅が国民党当局に追われるようになると完造は彼を計4度も匿い、隠れ家も提供します。また郭沫若、陶行知などの左翼系文化人も内山書店をたより、完造は手を差し伸べました。そのために完造は上海在住の日本人から非難され、一時は上海を離れたこともありました。

二人の関係は1936年の魯迅の死まで続きました。そして魯迅の絶筆は完造に宛てた手紙でした。

日中関係がもっとも緊張していた時代に、一つの書店が両国の文化交流の拠点となっていたことは驚きです。しかし、書店だからこそそれができたのかもしれません。本を求める人の間には国は違えど通じ合う何かがあるのですから。

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#魯迅と内山完造

 

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