愛書家日誌

- a bibliophilia journal -

伝説の書店 その3 オデオン通り、小さな書店の女主人

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オデオン通り「本の友の家」

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#「本の友の家」オデオン通り7番地

1920年代のパリの文学シーン。ウディ・アレンの映画「ミッドナイト・イン・パリ」でも描かれていたようにヘミングウェイ、ジョイス、ヴァレリーなどきら星のような文学者が国をこえて集まり、街を歩き、議論をかわしたあこがれの時代です。

1915年にパリ左岸のオデオン通り7番地に開店した小さな書店がそのすべての始まりでした。店の名前は「本の友の家」、貸本と新刊を揃えたパリで初めての女性によって開業された独立書店でした。彼女の成功がヘミングウェイの「移動祝祭日」にも登場する「シェイクスピア&カンパニー書店」の開業につながり、2つの店を中心とする”オデオニア”が生まれます。今回は今では知る人の少なくなったこの書店をご紹介します。

のちの女主人、アドリエンヌ・モニエは1892年にパリで生まれました。文学や芸術が好きだった母は、仕事で不在がちの父がいない夜には娘をよく芝居に連れて行き、アドリエンヌもまた自然に文学好きな少女に育ちました。

彼女は17才で学校を卒業後、ロンドンに渡り英語の勉強をしました(好きだったクラスメートの女性を追っていったのが真相らしいですが)。帰国して速記とタイプを習いパリ右岸の人文系の出版社に秘書として就職します。そのまま文学好きな普通の勤め人として生涯を過ごす道もあったかもしれません。しかし、1913年に大きな不幸と幸運が同時にアドリエンヌに訪れます。父が列車の事故に巻き込まれ後遺症がのこる大怪我をしてしまったのです。そして父は事故で得た補償金をすべて娘に渡します。娘の夢が書店を開業することだと知っていたのでした。

小資金で開業した書店でしたが、時代は新しい書店を必要としていました。男たちが戦争に参加するために多くの書店が休業中だったのです。アドリエンヌの成功の評判が広がると多くの女性が彼女に書店開業のアドバイスを求めました。

アドリエンヌとシルヴィア:オデオニア

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#「シェイクスピア&カンパニー」オデオン通り12番地

その中の一人がアメリカ人のシルヴィア・ビーチでした。アドリエンヌは適切な助言と勇気をあたえ、シルヴィアは英語書籍の専門店「シェイクスピア&カンパニー」を開業します。しばらくするとシルヴィアは「本の友の家」の斜向かいのオデオン通り12番地に店を移転しました。

この2つの書店がたつオデオン通りを中心としたパリ左岸の地域を、アドリエンヌは「オデオニア」と呼びました。このオデオニアこそがある時期の新しい文学の中心だったのです。

アドリエンヌは新刊であることだけでなく、新しい精神が含まれていることを重視しました。店には彼女の厳しい目で選びぬかれた本だけが並んでいました。また貸本屋であるために、顧客は本を返しに店に再訪し、店主や他の顧客との関係を深めていったのでした。

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#シルヴィア(左)とアドリエンヌ(右)。二人は後に恋人になりオデオン通りの18番地にともに暮らすようになりました。二人の関係はアドリエンヌがなくなるまで36年間続きました。

書評誌「銀の船」

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#「銀の船」1926年4月号

1925年にアドリエンヌはシルヴィアの助けを得て、書評誌「銀の船」を発行します。銀の船はパリ市紋章に描かれている船のことです。毎号100ページ程度、1号5フランのこの雑誌はフランス語で書かれていても国際的スピリットが魅力でした。「オデオニア」周辺の作家たちが多く参加しています。商業的には成功しませんでしたが、多くの作家のキャリアを助けることになりました。

 最初の号にはT.S.エリオットの詩のフランス語訳が掲載されています。5号にはジョイスのフェネガンズ・ウェイクの草稿、10号にはヘミングウェイの小説が初めて仏訳され、11号にはサンテクジュペリの短編も掲載されています。

書店のあり方

アドリエンヌの理想は一人の店主が自分の目で本を選び、読者と個人的に関わる書店でした。彼女がいなければありえなかった本と人の出会いを作りたかったのです。彼女は書店がビジネスであることはもちろん知っていましたが、なによりもまず本を熱烈に愛し、美しいものの力を信じていました。だからこそ多くの作家たちがこの書店に集まり、一つの時代をつくっていったのでしょう。

全体としての書店業の衰退が進む一方で、新しいタイプの独立系書店も増えてきています。その中から新しい伝説の書店が生まれるとすれば、それはアドリエンヌと同じように本への愛からはじまるのではないでしょうか。