愛書家日誌

- a bibliophilia journal -

伝説の書店 その2 ハーレムの黒人専門書店

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 ナショナル・メモリアル・アフリカン・ブックストア

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その書店はハーレムのセブンス・アベニューにありました。「良識の家、適切な宣伝活動のホーム」という看板が高々と掲げられ、「20億人のアフリカ人と非白人たち」とか「世界の歴史」とか様々な文字が店頭をかざっています。ここにあった本は、ウェブスター辞典と聖書、それにほんの幾つかの例外をのぞいてすべて黒人に関係あるものだったのです。

ハーレムで知らない者のなかったナショナル・メモリアル・アフリカン・ブックストアは1939年にルイス・ミショーというたった一人の男によって始められました。

ルイス・ミショーについて

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ルイス・ミショーは1895年(1894年説もある)にヴァージニア州ニューポートで生まれました。賢い子供でしたが、最低限の教育しかうけることができず、盗みに手をそめ留置所にも入りました。持ち前の反骨心からいつも警察ともめ、30才の時には殴られて片目を無くしてしまいます。その後も様々な賃仕事や有名な牧師であった兄のライトフットの手伝いをしながらなんとか生計を立てていました。

ある日、本屋のショーウィンドウを磨く仕事をしている時、ルイスはふと思いつきます。*1

「本屋を開業しよう。」

黒人のために黒人が書いた、アメリカだけでなく世界中の黒人について書かれた本を売る、それがルイスの描いたプランでした。兄の教会の事務所をそのまま借り受け、やっと集めた5冊の本と手持ちの100ドルでナショナル・メモリアル・アフリカン・ブックストアは開業します。ルイスは44才になっていました。

開業はしたものの、店に入ってくる人はいません。ショーウィンドウに目をやる人さえいないのです。そこでルイスは本を手押し車にのせて通りへ持ち出します。125丁目を行ったり来たりしながら、道行く人に声をかけて本を売ったのでした。「本を読まない人はだまされる!」ルイスの小さな体から出る大きな声に、人々は少しづつ注目していったのでした。

書店を訪れた人たち

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#ルイスの店の前で演説をするマルコムX

戦争が始まると戦地の身内に本を送る人が増え、ルイスの本屋は軌道に乗ります。その資金を元にルイスは在庫を拡充し、戦後もますます注目を集める店になっていきます。そして様々な文化人や運動家が店を訪れるようになりました。詩人ラングストン・ヒューズはサイン会を行い、マルコムXは足繁く店に通い、店頭で演説会を行うまでになります。ルイスはその風貌と知識から「教授」というあだ名で呼ばれ、人々に親しまれます。近くにはぶっそうな輩も多くいましたが、ルイスの店はおそわないのが暗黙のルールでした。

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#マルコムXとルイス、モハメッド・アリ

移転と閉店

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#1970年、移転後のルイスの店

1968年になると、政府の施設建設のため店は移転を余儀なくされます。その後もしばらく営業を続けましたが、1974年にルイスは店を閉めることを決意します。その時彼は79歳でした。当時のインタビューで彼はこう言っています。「長く店を続けてきたがずっと俺のワンマンショーだった。それを引き継げるものはいないのさ。」

店を閉める時、たった5冊から始めた彼の店の在庫は22万5千冊になっていました。閉店セールでは子供のいるハーレムの家庭に無償で絵本を配りました。

ルイスは議論好きで弁が立ちましたが、いわゆる政治運動に深入りはしませんでした。店のチラシにはこう書かれています。

「自らの歴史をしらない人種は根のない木と同じだ。」

知識こそが力である、そしてその知識と出会う場所がルイスの本屋なのでした。

 

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